日本映画界の至宝、吉行和子さん逝去 — 橋爪功さんとの夫婦役でも愛され続けた90年の輝かしい軌跡

昭和から令和にかけて日本の映画・演劇界を支え続けた女優、吉行和子(よしゆき・かずこ)さんが2025年9月2日未明、肺炎のため永眠されました。90歳でした。同月9日に所属事務所のテアトル・ド・ポッシュより公表された訃報は、多くのファンや関係者に深い悲しみをもたらしています。

吉行和子さん

吉行さんといえば、映画『愛の亡霊』での衝撃的な演技や、山田洋次監督の『家族はつらいよ』シリーズで橋爪功さんと息の合った夫婦役を演じたことで、多くの人々に愛され続けました。しかし、その輝かしいキャリアの背景には、文学の血を引く名門一家に生まれながらも、病弱だった少女時代から始まる、決して平坦ではない人生の物語がありました。

文学の血脈が育んだ芸術的感性

吉行和子さんは1935年8月9日、東京府(現在の東京都)で生まれました。父は詩人・小説家の吉行エイスケ、母は後にNHKの朝ドラ『あぐり』のモデルとなった美容師の吉行あぐり、兄は芥川賞作家の吉行淳之介、妹は詩人・小説家で同じく芥川賞を受賞した吉行理恵という、まさに文学一家の一員として生を受けました。

吉行和子さんプロフィール写真

しかし、華やかな家系とは裏腹に、和子さんの幼少期は決して恵まれたものではありませんでした。2歳で小児喘息を患い、病弱な子ども時代を過ごします。4歳の時には父エイスケさんが亡くなり、母あぐりさんが美容師として働いて家計を支える中、喘息の発作がひどい時には岡山の祖父の元に預けられる日々を送りました。

このような環境で育った和子さんですが、母あぐりさんは後に「ものすごく手先が器用だった」と振り返っています。人形の着物を作ったり、編み物をしたりと、幼い頃から芸術的な才能を発揮していたのです。この器用さと、文学一家で培われた感性が、後の女優としての表現力の土台となったのかもしれません。

偶然から始まった演劇人生

1954年、女子学院高等学校を卒業した和子さんは、実は女優になるつもりはありませんでした。絵を描くことや裁縫が得意だったため、「衣装係にでもなれれば」という軽い気持ちで劇団民藝付属水品研究所を受験したところ、思いがけず女優候補として採用されてしまいます。

この偶然の出来事が、和子さんの人生を大きく変えることになります。1955年に初舞台を踏み、同年には津島恵子主演の『由起子』でスクリーンデビュー。そして1957年、舞台『アンネの日記』でアンネ・フランク役に抜擢され、主役デビューを果たしました。

吉行和子さんの舞台写真

当初は「農民の娘」役など地味な役柄が多かったといいますが、1959年に日活と契約を結び、『にあんちゃん』『才女気質』での演技で毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。この受賞が、女優としての地位を確固たるものにする第一歩となりました。

『愛の亡霊』で見せた女優としての覚悟

和子さんのキャリアにおいて最も印象的な作品の一つが、1978年の大島渚監督による『愛の亡霊』です。40歳を過ぎてからの出演には周囲の反対もあったといいますが、性愛を大胆に扱ったこの作品で、和子さんは本能をむき出しにする女性を熱演しました。

この作品での演技は衝撃的で、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。女優としての新たな境地を開く記念すべき作品となりました。40代で新しい挑戦を恐れない姿勢は、多くの女優たちにとって勇気を与える存在でもありました。

橋爪功さんとの名コンビ — 『家族はつらいよ』シリーズ

近年、多くの観客に愛されたのが、山田洋次監督の『家族はつらいよ』シリーズでの橋爪功さんとの夫婦役でした。2013年の『東京家族』から始まり、『家族はつらいよ』『家族はつらいよ2』『妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII』と、息の合った演技で平田家の夫婦を演じ続けました。

吉行和子さんと橋爪功さん

特に第1作『家族はつらいよ』では、熟年離婚を突きつける妻・富子役を演じ、橋爪功さんが「心底怖かった」とコメントするほどの迫真の演技を見せました。シリーズ全体で5回にわたって夫婦役を演じた二人の掛け合いは、多くの観客に愛され続けています。

この『家族はつらいよ』シリーズでは、現代の家族が抱える様々な問題を、温かみのある視点で描き出しており、和子さんの演技は多世代の観客の心に深く響きました。橋爪功さんとのコンビは、まさに「理想の夫婦」として多くの人々に親しまれ続けています。

テレビドラマでの幅広い活躍

映画だけでなく、テレビドラマでも数々の印象的な役を演じました。『3年B組金八先生』シリーズでは、武田鉄矢さん演じる坂本金八の同僚教師を演じ、教育現場の厳しさと温かさを表現。NHKの大河ドラマ『徳川家康』や『風と雲と虹と』などの時代劇でも、その存在感を発揮しました。

特に印象的だったのは、1997年放送のNHK連続テレビ小説『あぐり』への出演です。この作品は実の母・あぐりさんをモデルとした物語で、和子さん自身も出演し話題となりました。母の人生を題材とした作品に娘として参加することで、家族の絆と文学一家としてのアイデンティティを改めて感じさせる出演となりました。

また、2013年から放送されたNHK連続テレビ小説『ごちそうさん』では、主人公の祖母役を演じ、近年も年齢を重ねた役で確かな存在感を見せ続けていました。

エッセイストとしての才能

女優業と並行して、和子さんはエッセイストとしても高い評価を得ていました。1983年に出版したエッセイ集『どこまで演れば気がすむの』は、1984年に第32回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。文学一家に生まれた感性と、女優としての豊富な経験が織り成す文章は、多くの読者に愛されました。

その後も『老嬢は今日も上機嫌』『そしていま、一人になった』など、数多くのエッセイを発表。特に『そしていま、一人になった』では、天才一家に生まれた女優としての複雑な思いや、一人で生きることの意味を深く掘り下げており、多くの共感を呼びました。

2021年には日本経済新聞に「私の履歴書」を連載し、90年にわたる人生を振り返る貴重な証言を残しています。文章からは、家族への深い愛情と、女優という職業への誇りが伝わってきます。

俳人としての顔 — 俳号「窓烏」

女優、エッセイストとしてだけでなく、和子さんは俳人としても活動していました。俳号は「窓烏(まどがらす)」。30年以上の句会歴があり、親友の岸田今日子さんや冨士眞奈美さんと共に俳句を楽しんでいました。

伊藤園お〜いお茶新俳句大賞では審査員も務め、俳句の普及にも貢献。2000年には母の日に贈った五行歌が朝日新聞で大きく紹介されるなど、文学的才能は多方面にわたって発揮されていました。

文学一家に生まれた血筋は、女優業だけでなく、こうした文筆活動でも確実に受け継がれていたのです。

親友との深い絆

和子さんの人生を語る上で欠かせないのが、岸田今日子さんや冨士眞奈美さんとの深い友情です。三人は長年にわたって親交を深め、しばしばテレビ番組や座談会に出演し、その仲の良さを披露していました。

2000年には岸田さん、冨士さんと共著『ここはどこ』『わたしはだれ』を出版。三人の掛け合いは多くの読者に愛され、女優同士の友情の美しさを示すものでした。俳句も岸田さんと冨士さんに誘われて始めたというエピソードからも、友人たちとの絆の深さがうかがえます。

また、タレントのピーコさんとも親交が深く、ピーコさんが癌で入院した際には毎日見舞いに通うなど、人とのつながりを大切にする温かい人柄でも知られていました。

私生活 — 一人を貫いた人生

私生活では、28歳の時に結婚しましたが、約4年で離婚し、以降は独身を貫きました。子どもはおらず、90歳まで一人で暮らし続けました。

興味深いのは、家庭的な母親役や祖母役のイメージが強い和子さんですが、実際には家事が苦手だったということです。テレビ番組では「家にはやかんすらない」「キッチンを汚したくないから料理を一切拒否した」と語っており、それが離婚の一因だったと振り返っています。80代になってようやく包丁を購入したというエピソードは、意外な一面を示しています。

しかし、幼い頃から手先が器用で裁縫は得意だったため、演技の幅の広さと実生活でのギャップが、和子さんの魅力の一つでもありました。

晩年の活動と最期の日々

86歳になっても一人で映画館に足を運び、俳句の会に参加し、新しい電化製品を買いに出かけるなど、非常にアクティブな生活を送っていた和子さん。パソコンやスマホも使いこなし、時代の変化にも柔軟に対応していました。

2008年の舞台『アプサンス〜ある不在〜』で舞台からの引退を表明しましたが、好評のため2009年にアンコール公演が決定。「女優って嘘つきですね」とユーモアを交えてコメントする姿からも、最期まで女優魂を失わない人柄がうかがえました。

受賞歴と社会的評価

和子さんの功績は数々の賞によって評価されています:

映画関連受賞歴:

  • 1960年:毎日映画コンクール女優助演賞(『才女気質』『にあんちゃん』)
  • 1979年:日本アカデミー賞優秀主演女優賞(『愛の亡霊』)
  • 2002年:毎日映画コンクール田中絹代賞
  • 2014年:日本アカデミー賞優秀主演女優賞(『東京家族』)

舞台・文筆活動:

  • 1974年:紀伊國屋演劇賞個人賞(舞台『蜜の味』)
  • 1984年:日本エッセイスト・クラブ賞(『どこまで演れば気がすむの』)

これらの受賞歴は、女優としてだけでなく、エッセイストとしても高く評価されていたことを物語っています。

追悼の声と業界への影響

和子さんの訃報を受けて、映画・演劇界から数多くの追悼の声が寄せられています。山田洋次監督をはじめとする映画関係者、共演した俳優たち、そして多くのファンが、その死を悼んでいます。

特に『家族はつらいよ』シリーズで共演した橋爪功さんとの名コンビは、多くの人々の記憶に刻まれており、二人の息の合った演技は日本映画史に残る名場面として語り継がれることでしょう。

現代への遺産

吉行和子さんが残した最も大きな遺産は、「女優」という職業への真摯な姿勢と、年齢を重ねても挑戦を続ける精神力です。40代で『愛の亡霊』に挑戦し、70代、80代になっても新しい役柄に取り組み続ける姿勢は、後進の女優たちにとって大きな励みとなっています。

また、文学一家に生まれながらも、独自の道を切り開いた人生は、家族の期待と自分らしさの両立という現代的な課題への一つの答えを示しているといえるでしょう。

文化史における意義

吉行和子さんの90年の生涯は、そのまま日本の近現代文化史の縮図でもあります。戦前戦後を通じて活動した父エイスケ、戦後復興期に美容師として自立した母あぐり、戦後文学を代表する兄淳之介と妹理恵、そして映画・テレビの黄金時代を支えた和子さん自身。

一つの家族が、それぞれ異なる分野で日本文化に貢献し続けた例は極めて稀であり、吉行家の存在は日本文化史における貴重な記録でもあります。

おわりに — 永遠に輝き続ける女優魂

2025年9月2日未明、肺炎のため静かに息を引き取った吉行和子さん。享年90歳でした。故人の遺志により、葬儀は近親者のみで執り行われましたが、その死は多くの人々に深い喪失感をもたらしています。

病弱だった少女が偶然の出会いから女優の道に進み、40代で大胆な挑戦を見せ、80代まで現役を続けた人生は、まさに「女優道」を体現したものでした。橋爪功さんとの温かい夫婦役から、『愛の亡霊』での衝撃的な演技まで、その振り幅の大きさは日本映画界の宝物でした。

文学一家に生まれた血筋は、エッセイストとしての活動や俳句への取り組みでも発揮され、表現者としての多面性を最期まで保ち続けました。一人で生きることを選んだ人生でしたが、多くの友人や共演者、そして観客に愛され続けた90年でした。

吉行和子さんの残した作品と生き様は、これからも多くの人々に勇気と感動を与え続けることでしょう。心よりご冥福をお祈りいたします。


参考文献

[1] NHKニュース, 「俳優 吉行和子さん死去 90歳 映画やテレビドラマで活躍」, (2025年9月9日), https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250909/k10014917261000.html

[2] 読売新聞オンライン, 「俳優の吉行和子さん死去、90歳…「3年B組金八先生」や映画「愛の亡霊」出演」, (2025年9月9日), https://www.yomiuri.co.jp/national/20250909-OYT1T50024/

[3] 産経新聞, 「俳優の吉行和子さん死去 90歳 「愛の亡霊」「金八先生」などに出演」, (2025年9月9日), https://www.sankei.com/article/20250909-SAJ7DVTEE5I7NLAOE6ND3GAMYE/

[4] 日本経済新聞, 「俳優の吉行和子さん死去 90歳「愛の亡霊」「3年B組金八先生」」, (2025年9月9日), https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD090KQ0Z00C25A9000000/

[5] Wikipedia, 「吉行和子」, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E8%A1%8C%E5%92%8C%E5%AD%90

[6] 映画.com, 「吉行和子:プロフィール・作品情報・最新ニュース」, https://eiga.com/person/75853/

[7] ORICON NEWS, 「吉行和子のプロフィール(身長、出身地 など)」, https://www.oricon.co.jp/prof/281540/

[8] 松竹株式会社, 「家族はつらいよ」, https://movies.shochiku.co.jp/yamadayoji/kazoku-tsuraiyo/

[9] システムブレーン, 「吉行和子 プロフィール|講演依頼・講師派遣のシステムブレーン」, https://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-3128.htm

[10] 新潮社, 「吉行和子 | 著者プロフィール」, https://www.shinchosha.co.jp/sp/writer/3704/

[11] NHKアーカイブス, 「吉行和子|人物」, https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009070061_00000

[12] テレビ朝日POST, 「吉行和子、経験できなかった”家族団らん”。母・あぐりに憧れた少女時代」, https://post.tv-asahi.co.jp/post-173160/

[13] Web eclat, 「女優・吉行和子さんに聞きました。「家族のこと。そして一人になったこと」」, https://eclat.hpplus.jp/article/42047

[14] スポニチ Sponichi Annex, 「吉行和子さん死去 来年公開予定の出演映画が追悼」, https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2025/09/09/kiji/20250909s00041000065000c.html

[15] 日刊スポーツ, 「女優吉行和子さんが肺炎で死去 90歳 NHK朝ドラ「あぐり」「3年B組金八先生」出演」, https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202509090000153.html

タグ: 吉行和子,女優,訃報,橋爪功,家族はつらいよ,愛の亡霊,文学一家,吉行淳之介,吉行あぐり,日本映画,エッセイスト,俳人,山田洋次,大島渚,演劇界

Your Ad Here
Ad Size: 336x280 px

Share this article

コメントを残す