08.08

ジョー山中さん逝く
ジョー中山というと、歌手と言うより俳優での思い出がある。それは、「人間の証明」。森村誠一の原作で角川映画の第一作と記憶している。自分を産んでくれた母を訪ねて日本までやって来た黒人の父と日本人を母とした男の役だった。当時はストーリーが難しく感じ、よくわからなかったなあ。
その後にジョー中山がジャズのミュージシャンという事を知った。
久しぶりに、人間の証明をみようかな。
歌手で俳優のジョー山中さん(本名・山中明=やまなかあきら)が7日、神奈川県内の病院で亡くなった。享年64。
ジョー山中の生い立ちと背景
ジョー山中、本名山中明は、1946年に横浜で生まれました。彼はアフリカ系アメリカ人の父と日本人の母を持ち、7人兄弟の中で育ちました。この多文化的な背景が、彼の音楽や演技に独特の色を添えることとなります。幼少期には養護施設を転々とし、厳しい環境で育った彼は、16歳でボクサーとしてデビューするも、その後音楽の道へ進みます。彼の人生は、多くの困難を乗り越えた結果、音楽と映画での成功へと繋がりました。
音楽キャリアの始まりと成功
ジョー山中は1966年に「491(フォーナインエース)」のボーカリストとしてデビューしました。その後、内田裕也プロデュースの「フラワー・トラベリン・バンド」で活動し、1973年に解散後ソロ活動を開始します。彼は3オクターヴの声域を持つボーカリストとして知られ、多様なジャンルで活躍しました。特に1977年にリリースされた「人間の証明のテーマ」は大ヒットを記録し、彼の名を世に知らしめました。
映画『人間の証明』での輝き
1977年公開の映画『人間の証明』では、ジョニー・ヘイワード役を演じました。この作品は森村誠一原作で、日本映画史上初となるシナリオ公募が行われた話題作です。ジョー山中が歌う主題歌「人間の証明のテーマ」はオリコンチャート2位を記録し、映画と共に大ヒットしました。この映画出演が彼の俳優としての評価も高めることとなりました。
多様なジャンルへの挑戦と遺産
ジョー山中はジャズからレゲエまで幅広い音楽ジャンルに挑戦しました。特に1980年代にはボブ・マーリー亡き後のウェイラーズと共演し、日本におけるレゲエミュージシャンとしても地位を確立しました。また、彼は社会貢献活動にも積極的で、多くの国々でボランティア活動を行いました。彼が残した音楽とその影響力は今も多くの人々にインスピレーションを与え続けています。
参考文献
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