2006
06.21
06.21
光市母子殺害事件
自分の考えを持っていても、なかなかインターネットで言えない時代だと思う。あえて書こう。謝罪しても許されないことを、生きてどうするつもりなのか、具体的に出して欲しい。償いの気持ちでは被害者の遺族は浮かばれない。厳しいようだが、同じこの世に、一緒にいることが許せないんだと思う。そんな平行線の双方の状態では、本当に許されない無純なことを言っている。過ぎてしまったから、前向きにしか対応は考えられないのだろうけれど、「取り返しの付かない事」への責任は、償えるものではない。
アメリカでは、性犯罪を犯した者の情報はインターネットで公開され、再犯防止に役立っているという。それは「再犯防止」であって、その効果は上がっているようだ。だが、事件を起こす前の人間のどれほどの抑制になっているかは、犯罪が減らないことからもわかると思う。
若輩者で語るに足りない言葉足らずだが、記しておきたかった。
Yahoo!ニュース – 毎日新聞 – <光市母子殺害>被告の元少年「死んでも償えない」
「自分のしたことは死んでも償えることではないし、謝罪しても許されることではない」。判決前の接見で、被告は話した。それでも「たとえ償いきれなくても、生きていることが許されるのなら、償いの気持ちを表し続けていきたい」と思っているという。
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